昨日はこんなことがあった。教会で除草剤を買おうという話を聞いた。というのは、所有地に崖があり、高所のために、手で草を取るのは危うく、すでに牧師は草刈り機を購入したという。塩で干乾びさせたり、酢で土壌を酸性にする枯草法もあるのに、グリホサートを使うという。むろん、FDAで発がん性を疑われており、つまり人間だけでなく植物にとっても作用するのだから、DNAの結合を一部切ってしまうような物質なのだろう。
教会を後にして向かったのはホームセンターだった。徒歩にして小一時間。除草剤売場に着くとやはり売られていて、商品紹介動画が小さく放映再生されていた。どうやら枯らせたい草のみに掛けると植物体が固まるように枯れ、土壌に無害な物質へ分解されるらしい。これはカリウム塩であるが、アミン塩や石油系の製品もあった。店員さんに聞くと、有機酸系もあるというので、離れた売場へ行くと、より効果の穏やかな除草剤が置かれていた。
私の結論として、カリウム塩なら、雑草体のみ枯死させられるので、妥当な選択だった、ということだった。すなわち、私は無用の疑いをかけてしまった。グリホサートを掛けたら土壌に染みわたり、お隣さんの植物まで枯らせてしまうから許可を取るべきでは、と教会で発言してしまったが、これは私が除草剤の性質についてよく知らないことによる無用だった。塩で枯らすのは芝用で、酢はアルコールが加えられていた。徒歩々々と大いに反省して帰宅した。
夕方を待たずに就寝し、二十三時に起床した。「簡素な生活」という本を読んだ。情報が多くなり、必要な知識が細かくよくわからないものになっているなかで、必要なのは、義務教育の知識とその展開であり、理解を広くする努力であり、自分の見方や考えにこだわらず確かめることである、と内面に教わった。私は無駄な疑いを人にかけてしまった。だが、私には得るところがあった。昼食費の三百円は若干高かったが、勉強代にはむろん、安かった。