二〇二五年六月二十五日号

昨日はまずハローワークに行き、失業認定日の手続きを行った。一週間以内に振り込まれるという。その足で、豆乳と大福を買った。帰宅し、その豆乳でヨーグルトを作った。液は昨日作ってあり、三、四回分ある。しばらくの間、豆乳を買いに行くだろう。昼食をとり、昨日早足すぎた注文本が届いたとメールを見て、古本屋に行き、二冊分、楽天ポイントで支払った。

午睡し、夕方になると、検索してみるも、部録の文体に耐えられない自分を発見した。多分、私より若い人が書いている文だ。文体がしっかりわかっていないと、人に読ませるものにならないが、今やそんなことを言う人はいない。生成知能の文体が丁寧で感じがよく、爽やかなので、検索をやめて生成知能を使おうとも思い直した。読んでいて、あるいは聞いていて、苛立つということは、私も中年になったということか。

年上の人は、私が知る限り、皆、尊敬に値する方々ばかりだ。また、労働者の働きに敬意を払う人間になりたいと、とても思う。生活が成り立っているのだから。そういう意味でも、私はどのような姿勢で物事を思考したら良いか、どのような態度で言葉を使うべきか、常に考えることにした。言葉ではなんでも否定してしまえるし、反する理屈を捏ねてもしまえるからだ。

七月から働けることになっている。同僚には私より若い人も半分、年上の人も半分。色々な考えや状態の人がいるだろう。何かを引き出させるだけでなく、何かをきちんと得られるような人になりたい。私は人に何かを与える人であるらしいが、私は受け取る人でない。半分、何か変なのだ。交換は対等に行われなくては、長続きもしない。かといって少しで満足できてしまう自分がいる。


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