昨日は礼拝で、先週同様、午前と夕方に別の教会で出席した。徒歩で行ったが、歩行速度は遅めだった。平日の活動で、思考が詰まっていたところを、礼拝説教は整えて軽くしてくれる。お昼ごろ、牧師に相談すると、よく考えてくださった。学生時代の同級生がいかがわしい仕事をしていることの残念さと自責や罪悪感についてだった。罪から救われますように、と祈るしかない。
一旦帰宅し、ラジオを聴きつつ昼食をとり、早めに家を出た。伊勢佐木町でフレッシュピーナッツを買う。普段買う店舗より三割安い。古本屋でアーレントを買う。繰ると、すごい理屈と修辞とに圧倒される。お菓子屋さんでプロテインバーを半値で買い、会館で食してから夕拝へ出た。静かな会堂、頭に入る説教、終了後即解散する快潔さ。帰路、思索しつつ一時間ほど散策した。
書斎では部録を作った。国際色豊かな考察記録だ。居住地域や日本国内だけでなく、国や外国の文献の著者について、思うところを書いておく部録だ。私の部録は基本的に読者は私だ。しかし、たびたび奇矯な読者がつく。今回も誰彼がつくのか、と思うと、最低限の配慮した内容にしなくてはならない。つまり、ある程度知識をつけておかなくてはならない。
三つ記事を書いて、早めに寝たと思う。朝起きると、夢が現実的に自然な感じで、区別がなかなかつかなかった。最近、夢が現実と遜色ないものが多いのだ。本当は、聖書の他にもう何も知ろうとしなくて良いのだが、理性を行使するために知識が役立ってきた経験から、こうして振り返って考えてしまう。良いことではあろうけど、偏ったり過剰になったりしないように気をつけたい。按分も知恵のうちだ。