二〇二五年六月四日号

昨日は蒲田まで出向き、大学の資料室を見に行った。私の出身院を持つ大学で、病院を経営しており、評判は良い。電車内で人間観察する、いつものように。スマホを開く人が貧しく見える。肌や身なりが見窄らしい人が多い。私はスマホを、メモするか、それを確認するためにしか開かない。動画もメッセージアプリも、家まで会いに行けば良いものを、行けないからと側から知りに行く手段でしかない。この点からも、ライブは原始的である。アプリを便利だと思う人は、たいてい、人を選ぶ人だ。好きだけでなく、嫌いもしっかり持たされている。

蒲田駅に着くとき、まだ文字を打っていたために、少し立つのが遅れた。入って来る人が多く並んでいて肩を窄めて出た。車内スマホは、降車時には歩きスマホと同じになる。傘によってパーソナルスペースが広くなり、往来が静かなのが雨の良さだ。街に出ると、信号脇の地図を眺めた。読む上で三度の信号を過ぎた。私は昔から要領は良くない。なぜこの街には人口が多いのだろう、との疑問に対する答えは決まっていて、人は街に適応する。人口の多いことは、それだけ適応している人が多い街である。そんな街にも、これから繁く訪れてみたい。蒲田はそんな街だ。

資料室はこぢんまりしていて、企画ものを展示していた。一九二〇年代に女子学校として開学し、医療や看護や薬学の人材を輩出した流れがよくわかった。当時の時間割が学部ごとに紹介されており、修身という科目があるのは特筆的だった。学長らが三十分ほど講義に割いている。学長の銅像が入口に立っていた。福耳で、いかにもな顔をしている。どこかでお会いした人間性豊かな人物に似ている。人相でわかる。私はそんな大物ではない、確実に。

帰って、動画を四本作った。修身のための投稿で、誰かに見せたり実用のための動画でないから、再生数は完全度外視である。食事後、動画を見ていて、配信者本人が動画中で語って紹介する商品は、テレビで出演者が食べるなどして紹介する商品と同じ広告だと気づいた。今まで同じだと気づかなかった。SNSや動画でトラブルが多いのは、SNSや動画がどのような性質のものなのか広く理解されていないからだとの思いを固くした。情報数理の専門家として、性質を解説した動画なり文章を公開したい。あくまで自称である、私は小市民に過ぎぬ。


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