昨日から今朝にかけて、本当に有難い時間だった。というのも、私の数学の解答に対し、矛盾を指摘してくださった方がSNSでいたからだ。私には頑迷固陋なところがあって、どこが正しくないか証明されないと理屈を付け足す癖がある。大概、通りそうな自然な理屈に聞こえるものだからか、誰も私に付き合わなくなり、次第に離れていく。私の意図した通りに。
しかし、今回は違った。図形証明を用いて、明証的に示してくださった。ここから私は学んだ。考えは、個人で持つ場合は特に、自分の中で正しければ良い、というものでない。自分では解けていて正しかろうと考えているうちは、辛いし暮らしは困難だし、第一、人が見ても笑える。何に悩んでいるのか、と。私はようやく、考えが正しいと思うなら尚更、それが正しいかどうかが重要になるということを学んだ。
正しいかどうかが重視されない風潮は、情報社会としてあまり良くない。正しい考えに基づくから、家が建つのであって、基礎が間違っていたら砂上楼閣しか建たない。ただ、何が間違っているか、判断する基準を、私はまだ明証的に得ていない。基準があるのかさえ疑わしい。つまり、最初から正しい知識に基づいて生きていけるほど、思考は甘くできていない、とも言えそうである。
昨日、百均で買った定規とコンパスと分度器を、私は誇らしく書斎に飾ることにした。私の解答が間違えていた記念に。重要なことを知った。私も間違う人間にすぎない、と。私がなかなか誰にも間違いだよと指摘されない原因が、人柄や繊細さにあるなら、私はもっと人格や頭脳を鍛えてタフガイに見せなくてはならない。議論したいのに俎上にも登れなかった半生もまた、私の生き方における大きな間違いである。