二〇二五年五月二十七日号

昨日何をしたか、よくよく思い出さないと覚えていられなくなった。つまり、脳の過度な興奮が普通くらいに落ち着いてきたことを意味する朝であるのが有難い。予定表アプリを見て、ようやく思い出すのだが、このくらいの方が過ごしやすい。常時、昨日を覚えているということを強迫観念にして生きない方がいいということにすぎないのだが、過度な興奮時期に特有の、一発無推敲ですごいものを作る時期は去らせた。辛いから。

昨日はまず、ウェブ仕事を請け負っている事業所へ挨拶に行き、報酬支払いについて相談しに行った。OSに関する質問に応じ、てきぱきと終えて帰宅、アルバイト先の面接をウェブ会議アプリで行い、家庭教師よりもスクールでの個別指導を希望したため、今日午後に面接へ行くことに相成った。三十人くらいいたが、全員が何らかの動機で応募してきて、皆それぞれ優れたものを持っていると思われるのが、不思議な気分だった。

その後、確かドラストを練り歩いて、トイレットペーパーの固い一枚ものの製品を探した。柔い二重のはどうやら私のお尻には柔く、上手く使えないからだ。一応見つけたが、思いの外、高価でまた次回にした。路地裏に酒屋を見つけ、グリューワインがないか訊くと、季節が移り変わったので在庫替えしたとの返答。クリスマスだけじゃなく養命酒のように飲むのだよとは諭さず、別店舗まで歩いてやはりあったので買って帰った。

スクールでの指導にはスーツが要るということで、バザーで買ってあったスラックスをお直ししてもらいに、近所の老紳士が営む仕立て屋さんに持って行った。下半身を脱いで計測したが、路面の車を除いては二人であって、通行人もいなかったので良かった。一週間で仕上げてくださるという。なんでも誰かが何かのために動いているこの社会、意図の集合があるとしてもそれは見えない。だが可視化したくもない。見えないからこそ良いものも、物事にはある。


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