猫の遺体が自宅から搬出された午後二時以降、住んでいた居間の片付けが矢の如く進んだ。砂も餌も私の猫飼いの実家が受けてくれるというので、近所のドラストまで走って二枚断って頂戴し、早々と梱包しておいた。床も箒掛けして雑巾で濡れ拭きし、餌台と猫用お手洗いを洗剤で綺麗にしてゴミ袋に包み、ついでにキッチンペーパーを近所の用品店で追加購入しに行った。部屋を隔てていた扉を全て開け放って換気した。
簡単な感想では、生活が単純になった。一人生物がお家に居るだけで、部屋は仕切らなくてはならなかったし、餌や水や砂のお世話をしなくてはならなかったし、毛を毛嫌いする私の休める部屋が増えなかった。どうやら私は、猫に早々と逝ってほしかったのだと仄かに思う。換気が終わったと判断し、扉を閉め、廊下を自由に移動できるのが瞬時な気がして、生活が簡単になったことで気が楽になった。
書斎の配置も換えた。キーボードを居間に移動し、その下の机を書物机にした。つい退職前のように。そこで文系仕事を成していたら、やりたかったことが果たせて今後も進む目処がついた。どうやら私が本を読めなかったものも、思考を思うように書けなかったのも、書斎に書ける机がなかったから、つまり居間に毛を落とす生物が居たからに過ぎなかった。真の退職理由は猫なのだった。
情けなくなった。どうしたら生計が立つのか。好きを言語化する動画を見た。私は人と好きを共有したくない。気持ち悪いと思う。違う視点でなく、同じ視点を持つ体験を積みたい。私はいつも、自分の好きなことは自分だけで楽しみ、人にはとても薦められないと謙遜しているし、いつも話すと私と同じ視点を持つ人がいたためしがなく、人と話すといつも個性を褒められるだけで孤独が募る。情報社会が生きにくく、かつ、つまらない。