二〇二五年五月十八日号

昨日は事件が現場で起きた。居間で眠っていたはずの飼い猫が、明け方から蟇のような声を繰り返し上げて泡を吹いていた。透明な液体を嘔吐し切っていたので、妻に告げて動物病院にかかった。初めてのことだ。二時間後診断が下り、右腎癌の腫瘍で腸と横隔膜が押されているらしく、余命数日とのことだった。雨の中タクシーで移動したのも久々だった。

帰宅し、厚手の毛布に乗せ、横臥させたまま暖かく掛けた。涙して感謝を語ったら、一時間後に雄叫びを上げ、両脚を走るようにばたつかせた。白い瞼が霞んでかかっていたものを、かっと目を見開き澄んだいつもの色になった。それから夜更けまでも、同様に元気を回復している。妻と相談し、検査や手術や抗がん治療は行わず、看取ることになった。栄養を与えるか否かで喧嘩腰になったが、金銭的事情から餓死も厭わないという妻に屈服した。

昨日は友人と鰻重を食べに行く予定があった。結局、取りやめたが、LINEで言い合いになった。こまめに返信しないのは失礼だという。私は事情を汲まずに文句を言うのは失礼だと返したので、必然、拗れた。だから、面倒にも、昨日は妻と友人という、私の生活上最も近しい二人との関わりを拗らせた日になった。夜分、一人になってよく考えたら、自分が生きて存在している感じを強く得た、というか、普段の私は軽薄すぎた。どうしたらこの濃度で存在感を実感して生きられるのだろう。

夜、パリとミラノとロンドンのファッション史について動画で学んだ。以前にもみた動画だったが、本と同じで何度も繰り返し見聞きすると吸収できる内容が増える。こんなにも凝っていたのか、の連続。夕食に作ったスープが四回分となり、タッパーに詰めて冷蔵した。保存して長くなる諸々を煮込んだので、食べたことのない良い味になったし、冷蔵庫もきれいになった。自分に空洞ができた。外側に完全に開いた洞である。飼い猫も、天に心が開いているような目をして未明を覚めていた。


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