二〇二五年五月十四日号

昨日はゆっくり歩いた。朝八時に家を出て、カメラで街を撮った。通勤へ向かう人々。さざめく川の面。そこに棲む亀の夫婦か親子。川に沿って歩いていると、仕事している人の姿を初めて見かけた。公園の花壇整備。息子による母親の付添い。訪問の介護かリハビリ。平日のこの時間に住宅街を歩いたことはあまりなかった。カメラで撮ろうと思うと歩速がゆっくりになる。

隣の区の公園に座って水筒を開けると、途端に眠くなり、二つあるベントのうち手摺がない方に横になる。うとうとしていると、何してんの?だめじゃないか!と声をかけられ、三十分あまり眠っていたことを知る。ごめんなさい、と言いすぐさま立ち去った。その近所のサロンに行き着き、ウェブサイトの整備について話し、その場で実施していただいた。おいしいかき氷をご馳走になった。

一時間あまり話をしていると、公園で声をかけてくれた男の子が、駅側へみんなと並んで歩いて行った。当の子もいた。感謝した。今時、注意してくれる人物は珍しくなった。三つ子の魂である、きっと有為な男性に育つだろう。帰路、ゆっくり歩いていると、ただでさえ詳しく知っていたと思っていた道も、知らない物事が多く見聞きされた。太い大根を一本百円で入手した。

ゆっくり歩いて書斎に行き着くと、ゆっくり疲れてきて、ゆっくり眠くなった。こうなったのは何十年振りか。自分の脳が最適化されていただけだったように、退屈怠惰でなかった生活を反省した。もっと怠惰に過ごしもしないと、何か大事なことを忘れてしまう。スローな時間を、あれほど実践できていたと思っていたのに。スローにも深みがあり、よりスローに過ごすことも、道のようなものだったのだ。三時間午睡したのに、覚めてもまだ眠かった。


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