ふっきれた感がある。証明後、どうするか、ずっとふらついていた心が、ようやく定まった。すなわち、論文を十四年は書かない。十四年とは一万時間である。書けるなら書いていくが、書かないでおけるなら書かない。解くことが目的だったので、知られることが目的でない。もう、暗号界隈の責任を引き受ける生活は懲り懲りだ、そう判断した。書くに書けないので、書かないことにしたのである。
従って、メディアに取材されることもない。されたとて、論文が出ていない以上、全件断ると決めた。つまり、私は解いたと思うし、解けたと思う人も界隈には少なくないのを知っている。しかし、私は書かない以上、誰にも伝えない。伝える機会がきても、伝えないから、伝わらない。私は広く知られない。それが最も安全で惰弱で、平和な策だと結論したのだ。
やることはもう、責任からくる物書きでない。好きに書き、好きに読ませてもらう。本は買ったのだ、読みまで指定されたら… なので、この部録も好きに書いていくし、本の批評部録にも好きに書いていく。動画も好きに喋って作る。どうせ、誰も見ないし聞かない。実際、動画は再生数は伸びていない。ただし、アクセス数はカウントされていなくても、ファサードだけ見る人や序盤だけ再生して去る人はカウントされないのはわかる。
舐るプロテインを買った。タンパク質比率が倍以上ある品。二割引だった。水で練ると、粉々っぽく、あまりうまいものでない。タンパク質比率が低い、安い品の方が舐るに旨い。だが、そもそもプロテインを舐る習慣を辞めたら良いのだ。安く旨いプロテインは、今夜で尽きた。水で練っても甘くて旨かった。今日から質は高いがまずいプロテインで暮らす。舐っても旨く無い。ちゃんと正規の食べ方で飲ませていただくが、つまらない。