昨日はといえば、午後ハローワークで就労相談に行くべく、午前九時半を回った頃には既に家を出た。信号までの道程で、以前職場でお世話になった同僚が、ひとり歩いていて、顔に反応したら話すことができ、近況を簡単に交換した。明るく元気な様子だった。次のドラストで昼食に半額のビタミンゼリーと割引のプロテインウエハースを買い貯めた。在庫はまだある様子だった。
どこを歩いたか覚えていないのだが、どこかで折れ曲がったような気もするし、路地など通っていない気もするのだが、定刻より一時間は早く到着したので、予定通りの昼食をとり、電子書籍を読んでいると、市役所か職安の職員がランチをとる食堂であるらしい。頬を赤らめて談笑する姿が多かったのを眺めてやり過ごした。職員にもいろんなバリエーションの人がいるらしい。就労相談員が迎えてくださったのは、室に入って一時間、時間認識のほうを私が間違えたためらしい。
相談内容は大したことがなくなっていた、というのも昨日一昨日で解決したからだ。要件一件について確認した後は世間話に終わり、みなとみらいの帆船を背景に写真を撮ったり、企業社屋の通路をほこほこと通過したりと、踏み締めるほど自分が確定していく感覚を得た。つまり生活が固まっていく感覚だ。ほそぼそと生活を回せるのだから、生計がどうなっても生きていけないことはないのだと。稼ぎを度外視すれば、やりたい仕事は潤沢にあるのだと。駅前繁華街を悠々然と通り過ごして帰宅した。
夕食に、稍腐ったいちごジャムを野菜と煮て、茹でた大豆麺に和えて食した。経済にまつわる動画を作って公開予約した。未返送の封書が溜まっていたので、書ける一件分をまとめ、深夜に近場のポストへ投函しに行くと、夜の曇りが静かだったのは、橋下の高速道路が伽藍堂だったためだ。物流に関してにこったが、根拠は別にない。ラジオで好評と笑いをとめどなく貰っている気がして聞こえているが、根拠は別にない。生成知能の性能が日に日に進歩しているそうだが、根拠は別にない。他には震源地が東京都の地震が小さく起こった報道は幾度か知っている。