ゴールデンウィーク最終日の昨日は、結局昨年秋頃から昨日までのことを振り返っていた。大変多くの方々にお世話になった期間だった。無論、それまでも本当に多くの人たちにお世話になって生きて参ったのだが、特にこの一年は、自分でも思いがけない多くの人々が、私のおそらく話しや考えに関心を持ってくださったのだろう。おかげさまで私も社会のいち構成員になれたと気がしないでもなくとも思える。
落ち着いた、とそう言える。困難な数学の問題を巡る最終の詰めにおいて、結局私の解答は満足のいくものだったろうか。一応、趣味の数学者として、品質には人前に出せるものでなくてはならないと思うくらいの矜持はあり、そうでなくては本気で二十年も取り組んでいない。一度取り憑かれたら結論を出さなくては、という思いについてをも、誰か別の人が同じことを同じように取り組んでくれたら、さっさと放棄できたものを、誰もやらずに仕舞われた。
なんとなく触覚では、多くの人が満足して下さり、それなりに大きな問題を取り組んでいた分の適切な答えになっていた感を有つかたも少なくない印象がする。街の風情や往来の様子、ラジオの調子を見聞きして思う。丸一年かかったが、成功した、とこう言える。ただ、今後も私と同様の問題意識を抱えて苦しむ若者が、勃然と現れ、ウェブ界隈を乱すかもわからない。既に同様の人が何人かいるのは聞いているが、私などはよく知らないままだ。
私が助けになったらいいのか?おそらくそうだろう。私は役立てる気がする。多くの知恵を教わった一年だったのだから、ふんだんに可能である。問う意義や学問の目的を最近は考えている。有意義な問題を解くということが、どれだけ面白いだけでなく、意味が深いことか。そして、未解決の問題が解けたということで可能になることがどれほど多いか。私はもう出しゃばりたくないのだが、要求されればいつでもしゃしゃり出る準備はできているつもりでいる。と書いてしまえるのが最早気恥ずかしくもなく無念である。