二〇二五年六月三十日号

昨日は礼拝日で、いつもながら夢のような一日だった。午前礼拝の後の愛餐会は、持ち寄りの日で、私はゴーヤとキャベツのコールスローを持参したのだが、おいしいと言ってくださる方が三人はいた。中には「私と舌が合う」とまで言ってくださった方がおり、大変嬉しかった。また、私の隣に座って質問をたくさん投げてくださった方もいて、私に関心を持たれるのも嬉しかった。

午後は、別の教会で、教会賛美の選曲法に関する講義を聞きに行った。そこでは、昨年顔見知りになった三人の方々と再会することができた。一人は連絡先を交換し、隣席で講義を聞いた。病状がだいぶ回復していて、数学の話をしたら喜んでくれた。別の一人とは夕拝前に会い、近況を交換した。数学のサイトのURLを伝えた。もう一人は今月一度会っているが、地下室で再会し、軽く談笑した。昨年は私にとって大事な年になったが、その時期を構成している人物には感慨も一入だった。

帰宅し、すっからかんになった財布のため何も買わず、本当の意味で最終日となる今日の準備をして二○時に就寝した。妻は旅行中。今日は二時に目が覚めてこれをものしている。悪夢ではあった。今までやってきた大事なものを捨てる夢だった。解釈ではつまり、お休みが今日で終わるということ。明日から労働が始まるということ。この三ヶ月、自分を回復した。やりたいことをやり切り、言いたいことを言い切った。心から満足し、心も平静安定した。最高のバカンスになった。

今日は本来なら大阪万博に行く予定があった。だが、私はもういい。交通費が嵩むのもあるが、私は自分に満足した。また会期が過ぎてから、見に行こうと思う。私が見たいのはリングであり、会期後も保存されるというから。買ったチケットの払戻しはできなかった。倹約的な生活はまだ二ヶ月続ける必要があるが、これからずっと倹約をベースにやっていっても良いと思うようになった。これくらいを普通にしたほうが確として幸せだからだ。


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