二〇二五年六月二十四日号

昨日は、一日で、街の多くの人と話した。今まで話さなすぎただけだ。街の人は昔から話しかければ話してくれた。でも、私は頑なに個人に閉じて歩いていたばかりだった。昨日はそんな過去の私のような人が何人もいた。困っているように見えた。昔の私のように。個人の牢獄に捕まえている人、自由人が奇矯人になったような人。私は話しかけることができる人になれた。

まず診療所に行った。ごみを漁る男性を見つけた。紙ごみをわりと丁寧な手つきで漁っている。子供のような声を出して歩いていて服装も幼い。話そうとしたが離れ去った。そうしていると、通りに風が吹き、叫び声が響き、飛ばされた帽子を私は捕った。横断歩道の向かいの女性の連れ合いのものらしい。女性が信号無視して受け取りに来ようとしたため、私は私なりの大声で諌めた。無事渡せた。お連れ合いさんは知的に大変で世話が必要らしい。

思ったのは、SNSで困った投稿ばかりの人は、脳に不自由さを抱えている、という説である。ほぼそうなのではないか、普通に言われているように。その中でも正しく考えられないのは、学校に行けなかったからだろう。二十分ほど歩くと、男子が母と歩いている姿を見かけた。平日の九時台なので、学校に行けていないのだろう、母も困っている感じで歩いていた。地域とつながるきっかけがないか、大上段にも考えてしまった。

診療後、歩いて一旦帰宅し、もう一度古本屋へ出向いて注文していたものを受け取りに行ったが、まだ時期が早かったらしい。結局、同じ道を歩いて二往復した。時間帯によって通りにいる人が異なることを知った。八百屋と区役所を回り、買ったトマトを二個切って食した。夏だ。ラジオを聴きながら午睡し、十七時半。心が柔らかくなって温かくなっていた。合理性から離れた雑木林性によってこそ、人間も成長できる気がする。


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