二〇二五年六月二十二日号

昨日はとても活動した一日だった。朝、移民の話題をラジオで聞いて、中古の本を三冊注文した。その足で両国まで行き、朝鮮の方々が関東大震災で殺された碑を見に行った。解説はなく、担当の学芸員はいなかったが、外国のツアーバスが公園内に停泊しており、さまざまな髪色の外国人が園内に孤独に戯れていた。うち二人には挨拶したら微笑で返してくれた。

秋葉原には寄った。六月だからだ。路傍に立っているメイドさんたちに現場の交差点はどこか聞いても誰も知らない、事件が起こったことさえも。ソフマップの店員さんに聞いたら流石に知っており案内してくださった。十分ほど立ち尽くした。この交差点かと。横浜まで戻り、いつものサロンに行くと、私と同年代の女性がお客さんで居た。情報産業の二十年について話した。盛り上がってかなり楽しかった。

夕方から地域にあるプレハブの会館で、自治会のあり方についての討論会に参加した。始まる前に地区選出の国会議員と情報通信について会話した。会で私は色々意見したが、二つ目でイベント会長が膝を打って快答だと評価してくださった。終了後には、区長に思いをぶつけてみた。かなり地元感を得られた。私も一定の存在感を出せる、と手応えがあったと感じた。

夜、約束どおりミャンマーのレストランに行き、茶葉ご飯をいただいた。味が私にぴったり。とってもおいしい。なにしろ、初回行った日から閉店していたが、本日から再開するという。夜の開店にしたという。今度来る時は、日本でやっていくのは大変でないか聞いてみたい。そういえば昼食は両国の食堂でとった。私の自宅から歩いていける酒屋の生まれの女主人が嫁いで営んでいる食堂。関東大震災の直後に建てた風情ある建物。人が死ぬ程のことでも、われわれはどうやら快感のうちに簡単に忘れてしまうようだ。


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