貧乏新聞なるサイトを作ったのは、この横濱の街に越してきて暫くした日のことだった。結婚に浮かれたのも束の間、無職無収入無貯金で妻に頭が上がらないことが確定した日の夜、年収200万円でも楽しく暮らす方法というウェブページを作成したのが始まりである。のちに著名な経済アナリストらが同様のタイトルで書籍を出版し売れていたそうだから、肯定されたようで自信を深めたのだが、いまや諸手を挙げて喜んではいられない。ともあれ私の書くものには斯くなる出来事が多すぎる。
さて、小生は研究所なるサイトを独りで運営しているのであるが、上述のページを作成した当時にほぼ同時に立ち上げたものであった。いまや一か月に二十万回閲覧されているそうで、ユニークユーザー数も月に万人を超え、大阪万博に迫る勢いである.その公式部録をはてなブログで書いているのだが、経済理論の基礎を分析する記事が好評で、残りの1ピースを完全に埋めた、と評価もいただいた。ところで、私はいま全財産が百万円もないのである!
妻に倅んで月三万円のお小遣い制を申し出て、私の財産管理を委託した今月、銀行カードもクレジットも、妻に渡した。妻は財布の紐が固く、私はお金に翼があるのではといつも疑っている。少なくとも足はないから虹のようなもの、そういえば霓という字は怪物を意味したなぁと思うばかり。どうして人は物を買わなくても経済は回っているのだろう?という巨大な疑問は、私が今月を九万円で暮らせてしまい、家具と本を除くとなんと六万円で満足いく健康生活が成立していたことによる。
私は物を買わない。買っても半額や割引で、ないし買い叩けるし、いくらでも探す。どうして原価では買わなくても、体調はむしろ良くなるばかり、知恵に溢れてきて、今まで摂取してきた情報や思案が役に立ってきている。経験も情報も、人生、無駄がない。なにかしらしてきて過ごしたこと、思い感じ考えてきたことが、すべて私だった。すなわち、私を生きることなど何より簡単なことだった。だってそれ以外を生きようもないのだから。いや、もっと高尚卓潔な人格者は、きっと自分を差し於いて世のために生ききるのだろうけど、私はそんな傑物ではない。