昨日でウェブ仕事の契約とスケジュールが確定したので、ひとまず安心して買い出しに行った。午前のスーパーだったがまだ半額ワゴンは出ておらず、しかし野菜と大豆製品など求め、その足で隣のドラストで卵を買った。帰宅して卵は電子レンジ蒸し器で半熟に、ローズマリーの苗には水を遣り、豆乳ヨーグルトの素液をベランダで作り始めた。好天であった。
私はこれをアップル社純正のキーボードで書いている。私はアップル製品が嫌になった。なぜなら、指に脂肪がある程度ないと、痛くて使えないからだ。アイフォンは指紋認証が通らなかった時期があり、仕方なく肉食にしたら二日で使えた。同様に今、キーボードフォリオが痛くて堪らない。緩衝性がない感じだ。硬すぎて食指がじんじんとする。かといって米国の食習慣を取り入れたくはない。
午後、貧しいことの幸せについて考えた。豊かになることと幸せであることは違う。興奮と幸福が別のものだからだ。今の人は興奮を快楽でしかないことに気づいていない。幸福は瞬時でなく永続するのだ。むしろ貧しい方が、無我無心の幸福に辿り着きやすい。しかし、やれ消費だ、やれドーパミンだ、の社会は歪み狂って然るべきだ。薄い見地で変なことばかりしている。
社会学史を読んだ。ホッブズの論理について書かれている章である。自然権を譲って政府を形成する、と。日本は不況の三十年で機会も資源もプラットフォームも譲った。その結果、余裕で平和になった。得しよう、損は避けよう、とばかり思うから戦争になる。この大事な当たり前が、日本だけでなく世界で忘れられている。安定した政治ほど、迷惑せず有難いものはない。