二〇二五年六月三日号

いつも深夜か翌朝に書いている記事を、今回は前日の夕食後に書いてみた。今日を昨日と書いている。昨日は診療日で、いつものように歩いて行った。一駅の距離である。朝の通勤時間帯であるが、開港記念日のため休校で、子供達が公園で遊んでいる。駅前の雑沓も、普段より通行量が少なく、したがって私に反応する人も少なく、歩きやすい。寂しい感じも物足りなさもなく、満足して闊歩している。

診療後、私に因んで作られたグラフィックデザインの画像を、マットな写真紙に現像するべく、写真屋さんに行って三十分待ち歩いた。駅の反対側まで闊歩した。歩行者デッキからみなとみらいへ向かう人の流れを見届ける。ここは高校の修学旅行で行った場所だが、まさか自分がここに住み、こんなにも居やすい場所と感じられるようになるとは。当時の同級生と私は同行さえしなかったのが申し訳ない。

帰宅し、商店街の八百屋さんで買ったオレンジを、昼食後と夕食後に一個ずつ食べる。種無しで食べやすい。頭の上で剥いたのは、先日の報道で、柑橘の皮の成分が発毛を促進すると判明したからで、八百屋さんの後に立ち寄った理容師に話したら知っていた。やはり専門家の一味は違う。春日のラジオを書斎で聞きつつ眠り入り、覚めると本を読んだ。最近は特に読んで理解することに集中できる。一冊半、完読した。

空気を読むことだけで済む暮らしはとっても楽だ。先がわかれば今を無駄に行動しなくて済む。じっと根を張り落ち着いて眈々と必要な時に必要なことだけ動けばいいのだ。随分楽だ。日々が淡々と過ぎる。証明を終え、症状も取れ、仕事と言えることも成し遂げた。私の仕事と言える仕事だ。すると同様に、人の仕事を味わうようになった。人の仕事が私の生活を作っている。皆働いている。物の認識に人が居なかったのが、ただ恥ずかしく、所有の意味がわからないのが、やや怖い。社会を不器用に生き凌ぐしかない、仕事で儲けた経験のないままでは。売るってどんなことなんだろう。


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