二〇二五年五月三十一日号

私には悩みがある。結構深刻な欠落である。お金って何に使えばいいのか、である。子供に言ってもいいが軽蔑されると思う。女性に相談したら誰もが離れていくと思う。でも、この悩みは深刻に広がって私の芯を食っている。私は何にお金を使えば良いのか。わからない。

世間的にも、お金を稼ぐ人は賢い人だ。資源をうまく使い、賢明にお金を使えるから、仕事も任せられ、することができ、昇進も昇給もする。名誉もその線にあるだろう。私は能力こそ仕事の上でも認められる人ではある。しかし、自覚があるのだが、私はお金をうまく使えない。うまく使った例しがない。どうして稼ぎたいと思えるんだろう。どんな動機によってお金を増やそうと思えるのだろう。今更乍ら、私は考えたこともなく、わからない。

今月は食材には使った。大して単価の高くない品を買い、自炊して食べた。とても満足した。新しい豆類を食べることもできたし、ずっと食べたい食材がいくつも見つかった。しかし、生活費は低かった。仕事はほとんどない月だった。無職である。それならば多少焦燥しても良いはずだが、私の魂は落ち着いてしまった。このままでいいとしか思えなくなった。もちろん、七月から給与が低くて済む仕事に就いて働く予定で、その意思もある。

お金って何に使うのだろう。何のためにあるのか。なぜ増やさなくてはならないか、については、葬儀費など死後の迷惑にならないための程度は作っておこうと思う。ある意味ではiDeCoですでに作ってありはする。しかし、両親はもっと貯めておきなさいと忠告してくれたし、妻も貯まったお金のありがたみを教えてくれる。でも、私は何がありがたいのかよくわかっていない。何のための活動なのか、研究をやり尽くせたこの半年で、活動の大目的を失ってしまった。全ての活動に、私個人のための意味がなくて理解できない。


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