二〇二五年五月二十日号

想定が甘いことが多い。昨日は前職の最終給与日だと踏んで生計計画を立てていた。割と余裕があるなと。だが、朝から更新しても振り込まれない。ハローワークの失業給付課に行っても三月分は満額だという。というのも、三月分は交通費しか振り込まれていないのである。そこで厚顔にも職場にメールで問い合わせた。すると、当月払いなので、すでに三月に支給し、差額の交通費を四月に支給したのだと。

つまり、実質一月分の金額を間違えた。いただけない。これで私は来る二ヶ月を、ほぼ何もゆとりなく使って暮らすほかない。本当の倹約が始まる。想定外だったが、しかし想定の範囲内だった。私はこうした生活を、もう一度経験してみたかった。結婚した当初、私は無職無収入無貯金で、だがそれまでで最も幸福だったのだ。その成分が、新婚であったことなのか、極貧だったことも含まれているのか、自分の中で検証したい気持ちがあった。

今のところ、生活がとても濃く確立していて、幸せで安定している。安いスーパーにとどまらず、破格品しか買っていないし、それで食生活が成り立っている。古本こそ買ってしまったが、その他は食材しか買っておらず、全生活費は十万円を超えないでいる。そして何より、社会の活動を構成する「仕事」ということに思いを馳せると、ありがたい想いに駆られ、それが心地よく面白い。どんな仕事でもいいから働きたいという思いが湧き上がる自分に、新鮮な力強さを感じるからだ。

自分はどうやっても生きていける。この思いを確かめられるのが、極貧生活でしか味わえないメリットである。早く仕事すれば、生活は楽になる。貯めた知恵を実践すれば、低収入でも別に苦しくもない。さらに、そんな収入であっても、かつての私がそうしたように、四桁万円の資産だって作ろうと思えば持てる。過去の体験を追えるからこそ、昔より安心の強度が凄まじい。後一ヶ月、狂気とも言える無職期間を味わい尽くす。おそらく、これが人生最後になる。貴重な期間が待っている。


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