昨日は午前に、藤沢へ歩いた時に履いた靴を売りに行った。足のサイズに対して一センチ短い靴で、両足親指側面に水疱ができてしまったから。小一時間ほど待つと、二千三百円余りで買い取って貰えた。そのお金で食料を買い回り、数十円のお釣りを残した。買ったもののうち、豆大福や玄米茶はすぐに消費し、蜂蜜飴や韓国風調味料は在庫に加えた。
ほしいもののために、みな働いているのか、疑問が出てきつつ歩いた。食べ物を買うためなら、最低賃金か少し多いくらいで良い。子供がいるなら、車が必要なら、家を買ったのなら、働くのにも納得する。多くの方々はそのような買い物をしたために働いているのだ。そして、そうでない人たちは、投資で財を増やしているか、労働時間を削っているはずだ。色々話は聞いている。
私は福祉の仕事を生涯続けていくつもりだ。それで食べていけてしまう。もう外食も別にしなくていいと観念している。豆や種を食べて飽きないし満足でき感謝する。四月からたまの卵のほか、植物しか食べていないが、体調は肉食の頃よりむしろ良い。こうした経験を整理する生活知を、しっかり固めておきたい。おそらく文章にして公開すれば良いのだと思う。
誰が読むともない文章。誰に語るとでもない話し。それらを生むために生きているのでもない。私は私を生きるために生きている。それ以上でも以下でも無い。買うことで何か新しい世界を体験する年頃でもない。身近な環境を味わい尽くす方へ舵を切った。専門でない分野の古典を齧り読み、認識程度に少し考え、話した動画を公開する、だけの、余生。佳いと思う、誰にも知られない生活。