少し迷いがある。昨日は特に用事がなく、朝から何かしたわけではなかった。ラジオ動画を作り、お直しを受け取りに行き、文学作品用にウェブサイトを整備した。それに、理容室で髪切に床屋談義し、バルザック「役人の生理学」を再読し、米国雇用統計の動画を見て一日が過ぎた。もはや全く心配なくなった、そのために、少し迷いがある。
私は今失業手当で暮らしている。一日六千二百円も貰える。一日に使う額がせいぜい千五百円なので、毎日四千円は貯まっている。米国もそうであるらしいが、仕事を選ばなければ潤沢にある。私は若かりし頃すでに、大変な仕事には就かないと決めた。その仕事像が今明確になった。障害福祉、介護、教育、清掃である。どれも私の好きな仕事だ。
つまり、いつ就職しても、いつ退職しても、仕事があるのだ。そして十分に豊かな生活が送れる。人生に勝ったようなものだ。生活費が低いというのと、十年にわたる買い物研究によって買わなくて良くなった品があること、つまり日用品と洋服と嗜好品他。そして、軽い仕事だが皆が忌み嫌う仕事こそ、私の就きたい仕事だという厳然たる現実である。
私は高校大学と名が知れた学校にいた。だが、私は世に言う出世は根本的に望まなかった。実業のために学んだのでなく、あくまで豊かな精神で暮らすために学問した。大学の先生にもならずに済んだ。私は人生を実現した。人生の問題に打ち克った。持たされるものがないのだ。晩に整備したウェブサイトに作り秘めた作品をアップした。私の活動場、秘密基地である。